「平和は目的でなく、結果でしかない」──21世紀に生きる私たちへの中村哲医師のメッセージ
<アフガニスタンのイスラム教徒のために命がけで活動してくれた中村哲医師の言葉を今こそ心に刻みたい> 誠に悲痛な出来事である。アフガニスタンで活動する中村哲さんの訃報が伝えられて、何だか悲しくて悔しくてたまらない。同時に、同胞であるイスラム教徒のアフガニスタン人や、困窮を強いられている人々のために何もしてやれなかった自分が恥ずかしくて情けない。理屈ではなく義理と人情の人だった中村医師。見知らぬ土地や人々のために命がけで人生を捧げてきた中村先生のまっすぐな生き様と、その姿は眩しいほど神々しい。 「そこに住んでいる人たちと良い信頼関係があること。これが武器よりも一番大切なことだと思うんですよね」と語っていた中村医師。暴力や衝突などが絶えないこの世の中でも、絆や信頼関係が築く小さな平和を噛みしめ、その意味について問い続けていた。そして、その答えに出会った場所は意外にも世界に見捨てられたアフガンの地だった。 1986年から中村医師は、医師がいないアフガニスタンの山岳部で医療支援の活動を始めた。当時や、多くの地域では今も汚れた水しか飲むことができないアフガニスタン人のために「薬よりきれいな水を」と、井戸掘りや灌漑用水路の建設の支援事業に取り組んだ。 中村医師が取り組んだ灌漑用水路建設のおかげで、アフガンの荒れ果てた大地に少しずつ緑が戻ってきた。その上で、1万6500ヘクタールの土地に水を送り、およそ65万人分の食糧を確保することが可能となった。「生きる条件を整えることこそ、医師の務め」との信念を貫いた。 中村医師は、国際社会が強いるさまざまな形のダブルスタンダード(二重規範)を常に非難していた。2001年9月の同時多発テロを受けて、アメリカは10月にアフガニスタンに対して空爆を行った。そのときも中村医師は、超大国アメリカの武力による解決を批判した。アフガニスタンへの自衛隊派遣に対しても「有害無益」だとして批判的な考えだった。 中村医師が語る言葉とその行動に、私はなぜか「品格」という言葉を良く連想する。十数年も前に話題を呼んだ本「国家の品格」ならぬ人間の品格だ。そのためか、自分を含む多くのイスラム教徒は中村先生が語る奥深い言葉と行動に「真のイスラム教の理想郷」を感じるのである。平等や助け合いの精神、偽りなく生きることこそイスラムの根幹をなす教えとその思想であるが、中村先生はそれを体現していたように思えてならない。彼の生き様はまさにイスラム教が理想とするそのものだったと、多くのイスラム教徒は賞賛する。 アフガンの人々のために尽くした中村先生は、奥深い数々の言葉を残している。心に残るものを一つ選べと言われたら、これを挙げたい。 「みんなが泣いたり困っているのを見れば、誰だって『どうしたんですか』って言いたくなる。そういう人情に近いもんです」 「ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる。罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない『素直な心』を持とう」 やはり1つだけは選べない。こうして中村医師の言葉を読み返してみると、コーラン(イスラム教の経典)にも記されている寛容や助け合いの精神とその感覚は中村医師が身をもって実践していたものだと分かる。 中村医師が言うには、昔も今も、また未来においても人間が生きていくうえで変わらないことがある。そのことについて自分の著書でこう締めくくっている。 しかし、変わらぬものは変わらない。江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。「天、共に在り」 今の世界の多くの国では、「王様は裸だ」と言えない状況になっている。また、国際社会は偽善であふれている。欧米の人々が言う人権、平等、自由などは偽善にしか見えない。 一方、イスラム社会も同じように偽善であふれている。アラブ諸国の政府や国民の多くは、言うこととやることがまったく矛盾している。イスラム教は平和な宗教のはずだ。しかし、イスラム教徒である私たちの生活はまったく平和とは言えない状況である。相手の考えを尊重し、共存共栄することや、異教徒を受け入れる、また嫌なことをされても寛大な心でそれを赦すことこそ、イスラム教が最も大切にしている理念だ。にもかかわらず、われわれの社会は暴力に訴える人であふれている。 中村医師の数々のメッセージは、イスラム教徒の私たちにも平和の本当の意味を諭しているように思う。中村医師は「自分のしていることは平和運動ではない。農業ができて家族が食べていければ、結果として平和になる……平和は結果でしかない」と語っていた。つまり、平和は目的というよりプロセスにすべきである。なぜなら、平和を目的にしてしまうと、関係者や当事者のそれぞれのエゴの下で争いが起きてしまうのだ。 12月2日に中村医師が西日本新聞に寄せた文章でこうつづっていた。「国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ――終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方を見つめる」 終末的世相の中で、異国の地で心温まる絆を見出した中村医師は私たちに何を諭し、そして何を啓示したのかを見極めたいものだ。