Category: 今週の記事

気になる、アラブと日本のあれこれ! アラブ人と死

アラブ人またイスラム教徒の「死」に対する考えを知るには、アラブ・イスラム文化の源泉とされる詩集、慣用的表現、格言、ことわざ、などの言語表現が最も有効な手段だとされている。 イスラム教では、死がどのように捉えられるかなどについては、様々な文献を通じてもはや知れ渡っているのだろう。もちろんそれらの文献の中心的検証資料となるのは、イスラム教の聖典聖書であるコーランと予言者ムハンマドの現行録です。

アラブの恋と月の話!

月に見えるものはうさぎ? それとも…… 月を見て、連想するのは何か。「うさぎだよ、うさぎ」と日本人の仲間の一人が言うが、アラブ人、そしてエジプト人である私の目に写る月の姿はうさぎではない。 どうやら月を見て何を思い浮かべるかは、国によって違うらしい。日本では、月の模様は「うさぎが餅をついている」とよく表現される。幼い頃に、月には兎が住んでいるという話を聞かされ、本当に信じていた人もいたそうだ。もしかしたら、今もそう思っている人もいるかもしれない。

アラブ世界、そこが知りたい! アラブ人の恋愛、結婚事情!

何年か前に、眠らない町として知られるカイロへ里帰りしたときのこと。久しぶりに喫茶店やレストランで溢れる夜の街、ダウンタウンに出かけてみると、何だか街の様子や雰囲気が変わったように感じたのだが、明らかに目立ったのは、若いカップルの姿の数である。 男と女の関係にうるさいアラブ社会でも、恋愛は恋愛である。当たり前の話だが、アラブ社会でも、男も女も、好きな人ができると、一緒に出かけたり話したりする楽しさを覚えていく。そして、逢いたい気持ちがますます募った恋人の二人はデートの場所を求める。 一部を除いてアラブ世界のほとんどでは、一昔前までのカップルのデート場所といえば、人気が少ないレストランや公園などだったのだが、今では男と女は、人の目を気にせずに堂々とデートするのが普通(常識)になってきたのか。 私としては、ジェラシーの気持ちもあってか、その変化にやや違和感が残る。まあ、せっかくの里帰りなので難しいことを考えないことにして、カイロの夜をもう少し楽しもうと散策してみることにした。カイロの夜には、気持ちをウキウキさせてくれるものがある。それは街のあちこちに流れる音楽だ。ダウンタウンの街を歩いても、タクシーに乗っても、どこへ行っても、音楽がどこまでも追ってくる。まあ、踊りや音楽好きのエジプト人のことだから不思議ではない。そして、聞こえてくる歌のほとんどはラブソングである。

日本とアラブのメタファー思考、「人生は学校である」!

私たちは、日常言語において、比喩(メタファーなど)を介して、ある事柄に関する知識を元に、別の事柄のある一面または状態を連想しながら意味を捉える。それは、多くの慣用句や比喩(メタファーなど)表現が生じる元になった二つの意味領域からの情報のメタファー的写像(比喩とそのイメージ)を、人々が暗黙的に理解しているからであると思われる。 ここで意味と比喩の関係を理解するために認知言語学の用語の一つである「概念メタファー」の意味を説明しよう。 概念メタファーとは、抽象的で分かりにくい概念領域A(target domain)を具体的で分かり易い概念領域B(source domain)で理解する、我々の認識過程を意味し、Lakoff流では「A Is  B」の形式を用いて表す。例えば、IDEA IS Food(Lakoff and Johnson 1980:pp.46-47)を見よう。これは、認識上、我々が「考え」という概念領域を、「食べ物」という概念領域で理解していることを示す。そして、このような認識は、個々の比喩(メタファー)表現(There are too many facts here for me to digest them all./ I just can’t swallow that claim)などに反映する。このように、比喩(メタファーなど)的慣用表現の背後にある我々の認識は、それぞれの概念メタファーで表される。 慣用句や比喩表現などの表現の個々の要素はその単語の基盤にある「比喩的概念(比喩とのつながりを示す考)」や「心的イメージ(心に浮かぶイメージ)」を示しているとされており、その結果、その表現の字義的意味が用いられるのとは異なる意味的特徴が活性化される。 例えば、アラビア語の「huwa (彼)lam(~ない) yanja.h[1](成功する) fî(に/で) al-.hayât(人生):彼は人生で成功しなかった」、「huwa(彼) ta’aláma(学んだ) al=kathir(多く) fî (に/で)al-.hayât(人生):彼は人生で多くのことを学んだ」などといった人間と人生の学習関係などに関するこれらの慣用表現では、lam(~ない) yanja.hu(成功する) fî(に/で)…