Author: Elmoamen Abdalla

死に絶える中東和平と新和平案というだまし絵

<トランプが「世紀の取引」と呼ぶ新中東和平案が、パレスチナやアラブの人々を絶望させた理由> 70年以上もイスラエルの軍事占領下で苦しめられているパレスチナ。イスラエル軍による不法な弾圧が続き、人々の生活は厳しさを増している。1月28日には、米ホワイトハウスでドナルド・トランプ大統領が仲良しのイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と共同記者会見に臨み、イスラエルとパレスチナの紛争を終わらせる新たな和平案、いわゆる「世紀の取引」を得意げに発表した。だが世界を翻弄し続けるトランプらしく、これもまったくの茶番だった。少し時間がたってしまったが、この和平構想について考えてみたい。 新和平案はある意味、「斬新過ぎて」誰も付いていけない内容だった。条件付きでパレスチナ国家樹立への道筋を具体的に示しているが、一方で、エルサレムを分断することなくイスラエルの首都とし、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のユダヤ人入植者の退去も求めないことなどを条件としている。さらに将来建設されるパレスチナ国家に軍を持たせず安全保障をイスラエルに委ねるとし、パレスチナを主権のない国家とする構想だ。極め付きは、ヨルダンと国境を接する要衝の「ヨルダン渓谷」の主権をイスラエルに認めるという、事実上の併合を許す内容だ。 将来のパレスチナ国家の地図は滑稽という言葉以外、ふさわしい表現が見つからない。四方八方に散らばった建物を、トンネルや移動手段を使って強引にジグザグな線でつなげ合わせたようなもの。そして、国際社会や国連がこれまで決めた和平の原則を全く無視して、お友達であるイスラエルにパレスチナを丸ごと差し出すものだ。 つまり、パレスチナの領土を割譲する権利を持たないトランプ大統領が、そもそも権利のない占領者であるイスラエルに、パレスチナの権利を譲り渡そうとするような話だ。これによって、アメリカの和平仲介は終わりを告げたと言えよう。 そもそもこの問題は日本で思われているような宗教戦争ではなく、土地をめぐる争いだ。1947年に国際社会はパレスチナ人が住んでいた土地を、パレスチナ(アラブ国家)とイスラエル(ユダヤ国家)に分割する決議を採択したが、イスラエルはその決議を受け入れず今日まで無視し続けている。それによって第1次中東戦争が起き、圧勝したイスラエルがパレスチナ人を追放し、90万人以上のパレスチナ難民が生まれる結果となった。現在、国際社会のいう「パレスチナ」とは、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領した領土のこと。これも国連決議によって占領地として認められている。パレスチナ人を含むアラブ人は、この土地は不法に占領されたもので、本来はパレスチナ人のものだと訴えている。 <全ての責任はイギリスに> イギリス政府が「パレスチナにユダヤ人国家を建設すること」を認めたバルフォア宣言から約100年以上が経過している今も、大半の日本人はその宣言の真相を理解していない。また、中東問題の真相を理解していない。さらに言えば、イスラエル建国の真相を理解していない。中には宗教による対立問題だと見ている人も少なくない。 歴史をたどっていくと、この問題を作り出した全責任はイギリスにある。いわゆる1917年11月2日にイギリスの外相とユダヤ人の間に交わされた密約「バルフォア宣言」の結果だ。当時のイギリスは第1次大戦におけるアラブ人からの支援と引き替えに、パレスチナをアラブ人にあたえる誓約をしていた。しかし最終的にその約束を破り、バルフォア宣言をしたことが、現在に至るパレスチナ問題の原因となった。 今回、私と同じようにテレビ越しにトランプの新和平案を知らされたアラブやイスラム世界の多くの人は、これは「世紀の取引」ではなく「世紀の厚かましさ」だと皮肉った。 しかし、茶番を演じる他人(トランプやネタニヤフ)の滑稽な姿の中に自分自身の姿を発見したとき、私たち(アラブ人やパレスチナ人)はどうすればいいのだろうか。 これは複雑な気持である。トランプが世界を無視し続ける勢いには歯止めがきかないが、これに頭を下げ続ける大半の国々の滑稽な姿も目立つ。アラブ諸国の政府も同じありさまで、これに大半のアラブ人は失望のどん底に突き落とされる。新和平案の発表を受けて、アラブ諸国からトランプへ抗議の電話が鳴り止まないだろうと私たちアラブ人は期待していたが、残念ながらそうはならなかった。そればかりか、新和平案が発表されたホワイトハウスの記者会見には、UAE(アラブ首長国連邦)及びバーレーン、オマーンの駐米大使も出席していた。トランプが、和平案の作成に協力してきたアラブ諸国に感謝の言葉をかける場面もあった。これをテレビ越しに見ていたアラブ人の多くは、おそらくそれまで感じたこともない憤りと絶望を覚えただろう。 <全てを台無しにした「オスロ合意」> 全ての問題の発端はオスロ合意だ。トランプの和平案に対して、多くのアラブ人の専門家や有識者はそのように見ている。オスロ合意は93年、ノルウェーの仲介による秘密交渉で実現したもので、正式には「パレスチナ暫定自治に関する原則宣言」。イスラエルのイツハク・ラビン首相(当時)とパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長が、ビル・クリントン米大統領の立ち合いの下、ワシントンのホワイトハウスで調印した。これはパレスチナ人との共存がうたい文句だったが、今になって自分を含む大半のアラブ人は、オスロ合意こそがパレスチナの独立権をフイにしたと考えるようになった。国家樹立のためにパレスチナ人が長年闘争し、そのために払ってきた犠牲を台無しにしたのがオスロ合意だと。そして、全てが欧米による策略だったのではないかとまで思うようになったのだ。 オスロ合意により、パレスチナ人は陸の孤島のように分断された自治区に事実上閉じ込められ、不自由で貧しい生活を強いられることになった。パレスチナ人の国家もできず、首都としての東エルサレムの奪還も、パレスチナ人の帰還権も何一つ手に入れることができなかった。むしろ、1947年の国連決議で決められた2国家構想や国際社会による約束の領土も奪われた。 つまりアメリカやイスラエルはオスロ合意という見せかけの合意を作り、民族の自決権としてのパレスチナ国家の樹立問題を、単なるパレスチナとイスラエルの政治的争いという問題にすり替えてしまった。イスラエルやアメリカは、国際法や国連憲章によって保障されているはずの民族自決権や民族解放闘争、とりわけイスラエルの非合法占領に対するパレスチナ人の闘争の権利を非合法化するために、和平交渉やオスロ合意を働きかけ、それを口実に占領を合法化しようとしてきた。 私が日本に来てから25年が経つ。その間、イラク経済封鎖、9.11アメリカ同時多発テロ、イラク戦争、イラク内戦、イスラエルのガザ攻撃、イスラエルのレバノン攻撃、アラブの春、リビア内戦、シリア内戦、イエメン内戦と、中東地域をめぐる数々の出来事が起きた。それらを見つめる中で、なぜテロが起きるのか、テロを起こした人間はどんなきっかけでそうなったのかといった多くの疑問が頭をよぎった。最近思うに、人間は努力や苦悩を続けても報われないと「何をやってもダメだ」と失望し、また、追い詰められた状況が続くと過激な思想に走る確率が高くなる。これは平和の力を信じて努力や苦悩をしてきた人の場合も同じだ。そのことは「武力なしに平和の実現はない」と力に訴える声に説得力を持たせることにつながるだろう。これを心理学者であるビクトール・フランクルの「苦悩と絶望に関する公式」に当てはめて、「解(かい)」を得ようとすると次のようになる。 <絶望=努力や苦悩-意味> フランクルは、ナチスドイツによるアウシュビッツ強制収容所に収容されるという絶望的な状況の中で、わずかな希望を見出して、奇跡的に生き延びたユダヤ人の1人。彼によると絶望とは、苦悩から意味を差し引いたことをいう。つまり、絶望とは意味なき苦悩だ。 絶望的な状況に追い込まれた人たちに共通するのは、わずかでも決して希望を失わないということだ。イスラエルの軍事占領下で苦しめられているパレスチナ人の場合でいうと、これまで70年間、「パレスチナ」の国家建設を手に入れるために苦悩に苦悩を重ねて、未来への希望を紡ごうとしてきた。つまりパレスチナ人が捉える和平への希望と、占領による苦悩は次の公式で説明できよう。 希望=努力や苦悩+意味 つまりパレスチナにとって和平への希望とは、占領に苦しめられている苦悩に、いつか自由になれるという意味を加えたもの。それによって苦悩は、意味のある苦悩となる。しかし、そんな明日への希望を抱ける気持ちすら、トランプの和平案によって打ち砕かれた。 良い戦争はないと信じたいところだが、パレスチナの今の状況を見ると、圧倒的な力で抑えつけようとしているイスラエルに対して、力づくで平和を勝ち取るしかないとの考えが出てきても不思議ではない。しかし、それは危険な考えだ。そして、このように追い詰められた人間こそ、暴力やテロの一番の原因となる。パレスチナ人には大義があり、自分たちは追い詰められていると信じている。イスラエルにも大義があり、追い詰められていると信じている。トランプの和平案はイスラエルの大義を正当化し、パレスチナの民族自決権とその大義を否定するものだ。どちらもその大義によって相手への憎悪が増して、無差別に傷付ける……それに拍車をかけるのがトランプの新和平案だ。どうかこれ以上、パレスチナ人を絶望の淵へ追いやるのをやめてほしい。

日本の教育の価値を考える “Think different”

「この国のあらゆる社会階級は比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。本物の平等精神、我々はみんな同じ人間だと心そこから信じる心が社会の隅々まで浸透している」(藤原正彦『日本人の誇り』[文春新書、2011年]) これは著名な日本研究者として知られているイギリス人学者バジル・チェンバレン先生(1850~1935)が残した言葉である。そして、日本は、今もその平等精神を実感できる社会であり続けている。しかし、日本における“平等の精神”の元となっているのは何なのだろうか。 日本における「平等」と「教育」 私は福沢諭吉のある言葉を思い出した。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」 「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」 時は明治時代。ベストセラーとなった『学問のすすめ』という作品で、福沢諭吉が記した言葉である。 日本社会の平等精神、そしてその元となるものは、どうやら「学問ハ身ヲ立テルノ財本だ」という哲学だったのではなかろうか。140年ほど前に書かれたこの作品で、国の未来を拓くのは、経済発展でも、資源開発でもなく、「知識」とその担い手の育成であると、福沢はすでに悟っていたのである。 福沢の深い言葉を読み返しながら、私は今のアラブ世界の混沌とした状況を考えずにはいられなかった。 アラブ諸国に日本の「知」を求める競争 気がつけば、日本に来てから今年で18年目になる。「早いもので」と言いたいところだが、早く感じるほどの月日ではなく、自分にとってまさしく波瀾万丈の18年だったのである。想像を遥かに超える事態に翻弄された最初の十年は苦労しながらも尊いものだった。その後も、様々な巡り合わせがあり、私はここにいる。 そんな私のところに、今勤めている大学からある依頼が舞い込んだ。アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで開催される「ナジャーハ」という留学&高等教育フェア(主催はUAE政府)で、東海大学や日本の教育を紹介してほしいというのである。 かつて、人類の長い歴史のなかで「知」の発祥の地として名高かったアラブ世界の国々は、かつての栄光を取り戻そうと躍起になっている。探し求めているのは、これまでのアラブ世界とは違い、欧米型の成長や教育モデルとも異なる新しいモデルだ。そして、多くのアラブ諸国がたどり着いたのが、日本型の成長や教育モデルである。 そう、今では多くのアラブ諸国が日本の「知」を手に入れるレースをスタートしている。その結果、アラブ世界で急激に日本熱が高まっている。特に、アラブ世界の熱い眼差しの先にあるのは日本の科学技術であり、その習得の過程である。 日本が世界に届けたい教育とは何か? アラブからのラブコールに対して日本もまんざらではないようだ。国際化の波に乗って、日本政府や高等教育の関係機関が日本の「知」を世界に届けようと必死になっているのも事実である。そして、「2017年までに留学生30万人を増やす」という壮大な計画を打ち出し、世界中から多くの優れた留学生を受け入れようとしている。 しかし、日本はどんな教育を売ることができるのだろうか。つまり、留学してまでの価値は何かということである。 アブダビで開催されたフェアには日本から10を超える大学が集まり、それぞれの特色や教育モデルを力強くアピールした。しかし、訪れた人たちの反応を見ると「今ひとつ」というような印象が強く見えた。「地理的距離がある」「言語が難しそう」など理由はいろいろあるにせよ、欧米諸国ではなく「遠い日本」にまで留学しようという気持ちにさせるほどの価値は見えなかったのだ。 日本自身が世界に届けたい教育にはどんな価値があるのかについて改めて考える必要があると思う。

日本の教育の価値を考える “Think different” Part 2

エジプトにいた頃、私の住んでいた街にサンドイッチ屋さんがあった。値段も手頃で、そこそこの人気。店自体が屋台に近い作りで、カウンターの中にキッチンがあり、その中で店主がハンバーガーを焼いてくれる。味の方はというとまあ普通。人によってはまずいと言うかもしれないが、私はなぜかその店が好きで、ほぼ毎日通い詰めていた。好きだったのは店主の面白い話、おまけで付けてくれるうまい漬け物だった。 もし今、その店の魅力について「本質価値」と「付加価値」で評価するとしたら、本質価値の部分では他の店に負けているかもしれない。だが、付加価値の部分ではきっとどこにも負けていない。もしかすると店主のおしゃべりと漬け物の戦いでは他を圧倒するかもしれない。 日本で学ぶことの付加価値とは? 本質価値と付加価値という問題はかなり複雑で、一筋縄ではいかない。教育もそうである。 科学技術の頂点を極めた日本は、身につける技術やノウハウといった教育の本質価値の部分では世界の誰にも負けない存在である。しかし付加価値ではどうなのだろうか。そして、その付加価値は世界に伝わっているのだろうか。 「日本で学ぶことの付加価値って何?」 外国機関や外国人にこう聞かれたら、日本の教育関係者は何と答えるのだろうか。おそらく多くの方が分かっていないことのひとつだと思う。 そもそも付加価値とは、「何らかのモノを使って新しいモノを生み出すと、元々のモノより高価値なモノとなる」ことを意味する。例えば、日本の科学技術は大変優れていると世界的にも定評があるが、科学技術が優れている国は決して日本だけではない。他の国とは違う、日本ならではの「何か」があるはずだ。 もし私が「機械工学」を日本で学ぶことになったとして、自分の国や他の国で学ぶのと日本で学ぶのはどこが違うのだろうかと考えたとき、日本ならではの「何か」が見えてくるはずである。 留学生たちが日本人から学んだもの 「日本に留学して良かったと思うか。また、その理由について教えてください」 留学生の友人や知り合いにこの質問をぶつけてみた。ありきたりの質問だが、その人が何を学び、また何を望んでいないのかがよく分かる。 筆者が得た留学生の声をいくつか紹介しよう。 「自分はサウジアラビアにいたとき、自分の発言や行動を他人がどう思うか、そんなに気にしていなかった。日本人がそれを一番に考えて行動していることを知って、世界を自分の目からだけでなく、他人の目からも見るようになった。結果、自分をコントロールすることを学んだ」(サウジアラビア人留学生・理工学部在学) 「日本人は、結果より過程を重視している国民である。『頑張れ、頑張れ』といつも言っているのもその精神性の現れだと思う。日本のモノづくりにおいても、結果より過程が一番大事な要素だと学んだ」(UAE人留学生・工学部在学中) 「論理的な考えや理屈だけで相手を説得しようとする欧米型コミュニケーションとは違うタイプのコミュニケーションが日本にはある。留学期間、日本人との議論や関わり合いを通して学び、その結果、自分の考えを通すことより相手との気持ちのやりとりを重視するコミュニケーションスタイルが身についた」(エジプト人留学生・人文科学系大学院生) 日本人の“精神性”こそ付加価値 日本で学んだ経験のある留学生の声は様々なのだが、彼らの見方で明らかなのは、科学技術などといった日本教育の本質価値以上に、和、礼、信、忠、美など日本人ならではの精神性という付加価値的な部分に対する関心の方が大きいようである。 日本政府が決定した留学生誘致と大学の国際化戦略「留学生30万人計画」では、日本の大学が国際教育のイノベーションを起こすことが重要なキーワードとなっている。しかし、イノベーションの具体的なイメージがわかないという大学も多いだろう。 そもそもイノベーションとは付加価値を新たに創出することだと、私は考えている。「英語」という安価な原材料を使って、日本ならではの「大学教育」という高額な商品を作り出せば付加価値が高くなるというわけではない。「日本留学」という商品を買ってくれた世界各国の「留学生」の生活を豊かにするような新たな価値を創出しなければならないのである。他国では得られないような価値を創出することが、今、日本の大学や教育現場に求められている。

オバマ訪日に思う安倍首相と日本のマスタープラン

オバマ米大統領が訪日し(2014年4月23~25日)、日本政府は招聘の最高ランクである国賓として盛大に大統領を出迎えた。18年ぶりの米大統領国賓待遇には「日米蜜月関係復活」をアピールしたい日本の思惑が明らかだ。オバマ大統領も日本の要望に応じて、滞在日数を一日延ばすことを承諾。これは、これまでで最大の滞在日数となった。 “対等”には見えない日米関係 共同記者会見を終え、握手を交わす安倍晋三首相とオバマ米大統領。写真提供=時事 3年半ぶりの大統領訪問に日本はもちろん世界各国のメディアも盛り上がった。新聞やテレビなどあらゆるメディアがオバマ大統領訪日の様子をきめ細かく報じた。安倍首相が、ありとあらゆる「おもてなし」を使ってオバマ大統領の機嫌を取ろうとしている様子も鮮明に映し出されていた。 最近の日米関係を男女関係で例えるなら、「すれ違うばかりの仲」だった。米国という「女性」に対し、「男性」である日本が今回の訪問を機に関係を修復させようと懸命になるのも無理もない話だ。寿司屋で食事する場面など両首脳の親密さを象徴する映像を眺めても、第三者であるアラブ人の私の目には、日米同盟の現状が対等な関係には映らない。確かに日米同盟は日本に平和と繁栄をもたらしたが、恋愛で求められるのは対等な関係。彼氏または彼女に依存してしまう関係というのは最終的にはウザがられて終わるだけだ。まるで、アメリカの言いなりになっているように見える日本……だが、そう単純な関係ではないと私は思っている。 「ナショナリズムアレルギー」に陥った日本 オバマ大統領訪日に絡んで、日本のメディアでは安倍首相のアジア外交戦略が大きく取り上げられた。靖国参拝や歴史認識問題などの言動が批判の的ともなり、首相の言動が日米同盟にも暗い影を落としているとの見方までもがメディアや評論家の間で広がっているようだ。 「脱戦後レジーム」「美しい国」「再チャレンジ」などをキーワードに首相が掲げる構想をナショナリズム的思考だと厳しく指摘するメディアや評論家も少なくない。長い間平和教育を受け、戦争に対するトラウマを植え付けられたせいなのか、何だか一種の「ナショナリズムアレルギー」のような状態だ。 安倍晋三首相は先日の参院予算委員会で「私は戦後レジームから脱却をして、戦後70年が経つ中で、今の世界の情勢に合わせて新しいみずみずしい日本を作っていきたい」と述べた。その上で、「日本は平和国家としての道を歩み続けてきたが、憲法自体が占領軍の手によって作られたことは事実だ」とも答弁している。 首相の「脱戦後レジーム」とは、何を意味するのか。その中身がまったく見えないという点では危険なのかもしれないが、日本を独自の方法で見つめ直そうとしているのは間違いではない。 求められるのは「日本のかたち」を整えるマスタープラン 米国は“相手のことをよく勉強する国”として定評がある。かつても、そして今も日本のことをよく勉強し、日本人のマインドとその扱いに慣れている。日本はどこに向かっていくのか、安倍首相自身は日米同盟で何を目指しているのかなど、日本国民には安倍首相のマインドが読めなくても、米国には読める可能性が高い。 米国が武力を行使するのは、自らの国益が致命的な侵害を受ける恐れがあるときだけだ。自国の領土を自国以上に守ってくれる同盟国など存在しない。これらの事実を安倍首相も間違いなく知っている。だからこそ、日本には自分で自分を守れる備えが必要だと認識し始めている。ただ、それを可能にするのは、日本人をひとつにする“マスタープラン”なのだ。こう考えると、安倍首相が「美しい日本」や「脱戦後レジーム」などで作ろうとしているのは「日本を再生する」ためのマスタープランなのだと分かってくる。 司馬遼太郎は著書『この国のかたち』(文芸春秋)で「日本史に英雄がいないが、統治機構を整えた人物はいた」と記している。安倍首相も英雄にはなれないとしても、日本のマスタープランを作り統治機構を整えられる力があるのかもしれない。防衛や経済など様々な課題に対し自ら備えを用意し、アメリカとの同盟関係を踏み台に、より自立した国としての新たな次元を目指そうとしているように見える。 いずれにせよ、アメリカを後ろ盾にマスタープランを完成させるのが急務だと私は考える。

ラマダン カリーム! “断食”こそ恵みへの感謝

心待ちする寛大な断食月 「ラマダン、カリーム!(恵み多い月ラマダン、おめでとう)」……夏の時期、街中でこのあいさつが賑やかに取り交わされる。それもそのはず、みんなが待ちに待った寛大な断食月「ラマダン」がやってきたのだ。 イスラム世界の全地域は、イスラム暦9月(西暦7月)に、一大行事の「ラマダン」(断食月)を迎える。これを受けてまもなくイスラム世界、とりわけアラブ世界はどこもラマダン一色となる。ラマダンによる断食(サウム)は1カ月も続くことになる。もちろん断食といっても、24時間、30日も断食し続けるわけではない。断食は毎日、夜明け前から日没までの間だけである。 イスラムのカレンダーは「朔望月(さくぼうげつ)」(※1)に合わせているので、1年ごとに太陽暦とは12日ほどずれが生じる。そのため、ここ数年のラマダンは夏の時期と重なってしまっている。この時期、気温が40度を超える地域も少なくないアラブ地域で、1日16時間以上も食べず、飲まずに過ごす。ヨーロッパ(夏の場合)など、19時間以上も断食する地域もある。その過酷さが想像できるだろうか。 空腹のあとにしみわたる食事や水の“おいしさ” 「お腹すいたなあ。どうしようか」。時刻はすでに午後4時を回っている。 「昨日、夜中に起き損なったのは大失敗だった。スホール(断食開始の前の食事のことで日の出前に断食に備えてフルーツジュースや暖かい紅茶、ヨーグルト、パンなど食べる)を食べられなかったからだ。でも、ガマン、ガマンだ。もう少しで食事の時間が始まる」 断食の1日が終わる時間にさしかかったころには、「お腹すいた、お腹すいた。ほんとにお腹すいたな~」とばかり考えてしまう。お腹が不平不満を訴えているような幻聴まで聞こえてくるような気がする。実際、最後に何かを口にしたのはもう11時間も前なのだ。 しかし16時間以上空腹な状態で、断食が明けて初めて口にする飲み物、食べ物の味や香り、それはもう格別である。特に水は格別においしく感じる。水の一滴一滴が身体にしみわたってくるような感覚だ。もちろん、この水の豊かな感覚は断食明けが一番である。 1日中、腸の中に食べ物が入っているという現代人の生活習慣は、身体にとってかなりの負担となる。断食をすると、腸が消化吸収の働きから解放されて、浄化される効果も抜群である。断食の経験のない方でも健康上に理由がなければ断食を一度くらい経験してみるとおもしろいような気がする。本当にお腹がすいたときに食べる食事、本当にのどが渇いたときに飲む水のおいしさ。これは普段いつでも好きなときに食べられる日常を過ごしているとなかなか体験できないことだ。 断食で断つのは“悪行”や“悪態” 普通、「断食」と聞くと何を連想するだろうか。「明け方から日没まで、食べず、飲まずに過ごすなんて大変で嫌だ。どうしてそんなことしなければならないのか」と、まず疑問に思うだろう。 あるアラブの知識人の話によれば、「断食という行為は、世界のさまざまな宗教に見られるが、イスラム教の場合は、物理的に飲食を絶つだけでなく、悪態や、社会や他人に害を与える行為を絶つ。これこそが、イスラム教が考える断食の本当の意味なのである」という。イスラム教徒がみな、このような精神を忠実に実行しているかどうかは別にして、イスラムの普遍的な哲学がそこにある。 多くの人は、食事を毎日3食規則正しく食べるべきものだと考えているから、「断食」と聞くと何だか“苦行”のようなものを連想するのではないだろうか。まあ、そう思うのも無理はない。 しかし、実際の「断食」はお祭りである。「ラマダン(断食月)」の時期に特別な思いをはせるイスラム教徒にとっては、ラマダンといえば、心待ちにしている楽しい行事である。仲間が集まり、おいしい料理をたくさん食べる。夜はライトアップされ、嬉しい、楽しいことが目白押しの日々が始まるのである。 日没後の食事はお祭り、家族の団らん 断食が明ける時間である日没の30分前は、家も外の町も慌ただしい。日が沈むにつれてみなそわそわとして落ち着かない気持ちになる。 子どものころ、私にとってその日没前の慌ただしい時間はいつも心躍る特別なひと時だった。食事の支度に母親がキッチンで張り切っている姿、フルーツたっぷりの創作ジュース、香ばしい香りのする焼きたてパンの買出し、お祭り用の特別な焼き菓子、ケーキ、家路を急ぐ人たちの姿など、家族みんな街中の人が忙しい。まもなく断食の時間が明け、家族の団らんが始まる。 ラマダンの断食月は毎日の日没前に大人も子どももみなでわくわくして過ごすのだ。 イスラム教徒であるアラブ人にとって、おいしい食事を囲んで家族が集う楽しい時間を心待ちに1日を過ごすことが断食への原動力になっているのかもしれない。 ラマダンの時期になると、街中のにおいまでが変わる。夕暮れ時は街中が大きなキッチンのようになり、どこからもおいしそうな料理の香りがしている。年に一度の大切な時期である。家族のみなが張り切って準備している。 「今日は、母親はどんなおいしい料理を作るのだろう」と、期待に胸を膨らませながら、「それにしてもお腹がすいたなあ」と思う。ラマダンでは、毎日、特別メニューで違うのが当たり前。父親も知恵を絞って、家族を喜ばせる一品を捜し求める。「今日はスイカにしよう。すいません、これを2つください」と、父親は張り切ってスイカ2つを買ってくる。 若者はラマダン・イベントで連帯感を高める 若者もラマダンを思う存分楽しんでいる。ラマダンがやってくると、あちこちでラマダンに合わせたさまざまなイベントが一斉に始まる。町はライトアップされみんなが浮足立っている。 ラマダンにちなんだセールやサッカー大会、ディナー、遊園地のイベントもあるし、テレビ、映画でもさまざまな特集が組まれる。そしてとにかく、食べる、食べる、食べまくる。そして食べたあとは、遊ぶ、遊ぶ、遊びまくる。町全体がイルミネーションや彩り鮮やかなライトで飾られるのも、ラマダンのときだけの楽しみのひとつ。 もちろん食べることや遊ぶこともよいけれど、礼拝も大切で、ラマダンはイスラム教徒の連帯感の強さを実感させられる時期でもある。普段の5回の礼拝とは別に、善徳の高い礼拝が合同で毎日夜の時間に行われる。 そして「神様への願いごと」といえば、イスラム暦の9月、ラマダンがもっとも「願いごとができる」季節である。 明日への希望をつなぐ「願いごと」の季節 ラマダンの最後の10日間のうち、ある特定の日にアッラーに願いを込めてお祈りすれば、「すべての願いごとがかなえられる」「これまでのすべての罪を許してくれる」などという聖なる一夜がある。その一夜を「ライラ・アルカドル」という。 ただ、そこには大きなハードルがひとつあって、具体的には、「ライラ・アルカドル」が、ラマダンの何日に当たるかなどは明確にされていない。人々は、神から与えられるこの「恩赦」のチャンスを心待ちにして、アッラーへの礼拝に励みながら、ラマダンのこの「ラスト10days」を過ごすのである。 「今年、大学入試に合格できますように」、「母親の病気が早く治りますように」、「就職や留学ができますように」などなど、人々の願いごとがラマダンの神聖な時間を駆け巡り、明日への希望をつないでいく。これもまた、イスラム教徒が抱くラマダンへの特別な思いの源だといえるだろう。 アラブ人(イスラム教徒)はこうして、ラマダンを全身全霊で楽しむ。断食の1日をやり遂げた自分へのご褒美(ほうび)として、夕方から翌日の明け方まで、思う存分に食べて、遊んで、そしてアッラーが与えてくれた恵みと祝福に感謝することを忘れず礼拝にも勤(いそ)しむ。これがラマダンなのである。 タイトル写真=カイロ郊外でラマダン用の飾りを売る露天商(写真提供=時事) (※1) ^ 朔望月とは太陽に対して月が天球を1周する時間で29.530589日。太陽と月の黄経の差が0度のときを「朔」、黄経の差が180度のときを「望」と呼ぶ。