الكاتب: Elmoamen Abdalla

日本の社会、そこが知りたい! 日本流リーダーシップ!

「リーダーシップ」と言えば、誰もが憧れるものである。だが、実際に、真のリーダーシップが発揮出来るかどうかは別の話となる。「自ら率先してビジョンや目標をみんなに示しながら問題解決や目標達成を実現する能力である」・・というのはリーダーシップの一般的な定義だという。しかし、これも人や状況、時代によってさまざまだろう。働き方や生き方が多様化している今、リーダーやリーダーシップの意味を定義すること自体は難しいのかもしれない。というのも、時代によって必要とされるリーダー像は異なってくるからだ。 今回の新型コロナウィルスの感染拡大騒動でリーダーシップが問われる場面は少なくなかった。企業や政府機関などのトップがそれぞれの立場で懸命になってリーダーシップを発揮しようとしている・・はずではあるが、最終的にはいつものように後始末がまずく、そして何か違和感が残る。 自然災害か人災かにかかわらずの緊急時の対応策を巡って、なぜか、日本のリーダーは非難を浴びることが多い。そして、決まって「強いリーダーシップを発揮できるリーダーはいない国だ」と言われる始末だ。しかし、これは本当なのだろうか。まったく見当外れの 話ではないが、何だか的を得ているとも言えず、当たらずとも遠からずといっておくのが妥当なように思える。 世界各国のリーダーたちは、新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、国民に向けたメッセージを発し、協力や適切な行動、連帯などを呼びかけている。危機的状況に関する事実や見通しを公言し全て国民にぶつけようとするイギリスやドイツの首相が示すリーダーシップのようなタイプもあれば、国民の連帯強化や、危機に立ち向かうためのモチベーションを高めることに重点を置いた危機管理の舵取りというニュージーランドや台湾のようなトップリーダーによるリーダーシップのパターンもある。 一方、日本はどうかというと、速さや効率より、協調性のある正確かつリスクの低い行動を基本として、いつものように、「初期行動が遅く、柔軟性に欠ける、縦割り的」のパターンによる行動と決断となる。しかし、この思考パターンのおかげで、被害が最小限に留まることがあることも否定できない。   悪く聞こえるのかもしれないが、日本の組織は個人によるリーダーシップをあまり好まず、また、あまり育てようとしない。しかし、そのかわりに、組織によるリーダーシップをとることに抵抗がない。これは日本の組織文化とそのロジックに関係していることだと思われている。というのも、日本には組織の責任と個人の責任が混同される風潮があるからだ。結果として、「者(個人)によるリードーシップ」より、「社(組織)によるリードーシップ」という社会通念が推奨され日本社会に根付く結果となったのである。 一方、日本から見たこの魅力的なリーダーとは「何か」と歴史の中で、それを読み解くのは面白い。そういう意味で、司馬遼太郎の作品に登場する『竜馬がゆく』の坂本竜馬、『坂の上の雲』の秋山兄弟などのリーダーたちのように、国難の際に救国の指導者として日本を導いた政財界のリーダーや、今日の様々な分野のリーダーたちの中にも、優れたリーダーが数多くいたことは事実である。そして今も讃えられる日本のこの優れた リーダーたちに共通するのは、「責任」と「信頼」に加えて、「調和力」である。日本文化には、相手や周囲の人たちに合わせようとする「調和志向」の文化的特色が根強い。温かい人間関係を保ちながら集団としてうまく機能しようとする日本人のマインドでは、何よりも調和を重視し、可能な限り対立を避けて相手に適応しようとする。そのためか、曖昧な言い回し的な表現が得意で、建前は話すが、本音は隠すのが処世術の基本である。 こうした国民性を背景に、日本史において「人たらし」としての性格を持つリーダーは特別な存在だった。リーダーとして、武将や部下からも信頼の厚かった豊臣秀吉の魅力について、司馬遼太郎は、こう記している。「人たらしの天才」と。人とのボーダーレスの力を秘めたこの「人たらし」という資質こそ、日本のリーダーの強みのはずであるが、今のご時世では類い稀なる資質であろう。 一方、強いリーダーがいなくてもうまく回れるのが日本の組織の特徴だと言える。それは、現場を取りまとめる中間的なリーダーのリーダーシップとその知恵のお陰である。日本の組織には、トップリーダーと中間層的リーダーの間に一種の連動性(運動性)が働き、組織全体の方向性と個々の役割が決まってくる・・というようなメカニズムがあろう。世が火急の今回のような危機の時もその特殊な法則の働きが見られる場面も多かった。例えば、感染防止への対応策として厚労省トップや役人が打ち出した「湖北省からの帰国者や濃厚接触者」を限定とする検査基準に対して、自治体など現場の中間的リーダーたちはその方向性を汲み取り、現場の声を吸い上げながら調整していた。 結果的には、当初(トップリーダーによる)の方向性に加えた現場の声を併せた状況をもとに最終的方向性と判断をトップリーダーは決めるという流れになった。これこそ日本式の「意思決定」と「リーダーシップ」のプロセスだと言える。安倍総理が要請した学校の全国一斉休校の時もそうである。 そもそも、「トップリーダーからの要請」という発想自体が、トップダウン式の意思決定による命令や指示型を基本とする欧米などの多くの国とは趣を異にする指導法である。総理の要請を受けた、各地域や自治体の中間的リーダーたちはお上である政府や総理のその方向性をそれぞれの方法で受け止めて調整しながら実行する。結果的には、休校としながらも、休校しない(学習を続けられる)ための現場の先生や自治体による様々な努力や工夫に魅せられることが多い。つまり、アプローチが違っても考えと目的が一致しているということになる。それこそ、日本のリーダーシップのメカニズムの極意だと言えよう。 リーダーシップを発揮するためにリーダーに求められる条件は何か。リーダーシップとリーダー像の捉え方の違いにはその国の歴史や文化等によるところもがある。 司馬良太良は一人のリーダーに全てを求めることを好んでいなかった。火急の場合は直接国民に訴えながら大筋を掴んでぶれないタイプもいれば、モチベーションを高める教育者タイプや、ビジョンを伝える力官僚タイプのリーダーもいるだろう。いずれにせよ、その根本にリーダーと組織のメンバーの間で考えと目的の一致がなくてはならないものである。そして、それ以上に大切なのは従う者に寄り添う力と共感性である。          

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