الشهر: أبريل 2020

オバマ訪日に思う安倍首相と日本のマスタープラン

オバマ米大統領が訪日し(2014年4月23~25日)、日本政府は招聘の最高ランクである国賓として盛大に大統領を出迎えた。18年ぶりの米大統領国賓待遇には「日米蜜月関係復活」をアピールしたい日本の思惑が明らかだ。オバマ大統領も日本の要望に応じて、滞在日数を一日延ばすことを承諾。これは、これまでで最大の滞在日数となった。 “対等”には見えない日米関係 共同記者会見を終え、握手を交わす安倍晋三首相とオバマ米大統領。写真提供=時事 3年半ぶりの大統領訪問に日本はもちろん世界各国のメディアも盛り上がった。新聞やテレビなどあらゆるメディアがオバマ大統領訪日の様子をきめ細かく報じた。安倍首相が、ありとあらゆる「おもてなし」を使ってオバマ大統領の機嫌を取ろうとしている様子も鮮明に映し出されていた。 最近の日米関係を男女関係で例えるなら、「すれ違うばかりの仲」だった。米国という「女性」に対し、「男性」である日本が今回の訪問を機に関係を修復させようと懸命になるのも無理もない話だ。寿司屋で食事する場面など両首脳の親密さを象徴する映像を眺めても、第三者であるアラブ人の私の目には、日米同盟の現状が対等な関係には映らない。確かに日米同盟は日本に平和と繁栄をもたらしたが、恋愛で求められるのは対等な関係。彼氏または彼女に依存してしまう関係というのは最終的にはウザがられて終わるだけだ。まるで、アメリカの言いなりになっているように見える日本……だが、そう単純な関係ではないと私は思っている。 「ナショナリズムアレルギー」に陥った日本 オバマ大統領訪日に絡んで、日本のメディアでは安倍首相のアジア外交戦略が大きく取り上げられた。靖国参拝や歴史認識問題などの言動が批判の的ともなり、首相の言動が日米同盟にも暗い影を落としているとの見方までもがメディアや評論家の間で広がっているようだ。 「脱戦後レジーム」「美しい国」「再チャレンジ」などをキーワードに首相が掲げる構想をナショナリズム的思考だと厳しく指摘するメディアや評論家も少なくない。長い間平和教育を受け、戦争に対するトラウマを植え付けられたせいなのか、何だか一種の「ナショナリズムアレルギー」のような状態だ。 安倍晋三首相は先日の参院予算委員会で「私は戦後レジームから脱却をして、戦後70年が経つ中で、今の世界の情勢に合わせて新しいみずみずしい日本を作っていきたい」と述べた。その上で、「日本は平和国家としての道を歩み続けてきたが、憲法自体が占領軍の手によって作られたことは事実だ」とも答弁している。 首相の「脱戦後レジーム」とは、何を意味するのか。その中身がまったく見えないという点では危険なのかもしれないが、日本を独自の方法で見つめ直そうとしているのは間違いではない。 求められるのは「日本のかたち」を整えるマスタープラン 米国は“相手のことをよく勉強する国”として定評がある。かつても、そして今も日本のことをよく勉強し、日本人のマインドとその扱いに慣れている。日本はどこに向かっていくのか、安倍首相自身は日米同盟で何を目指しているのかなど、日本国民には安倍首相のマインドが読めなくても、米国には読める可能性が高い。 米国が武力を行使するのは、自らの国益が致命的な侵害を受ける恐れがあるときだけだ。自国の領土を自国以上に守ってくれる同盟国など存在しない。これらの事実を安倍首相も間違いなく知っている。だからこそ、日本には自分で自分を守れる備えが必要だと認識し始めている。ただ、それを可能にするのは、日本人をひとつにする“マスタープラン”なのだ。こう考えると、安倍首相が「美しい日本」や「脱戦後レジーム」などで作ろうとしているのは「日本を再生する」ためのマスタープランなのだと分かってくる。 司馬遼太郎は著書『この国のかたち』(文芸春秋)で「日本史に英雄がいないが、統治機構を整えた人物はいた」と記している。安倍首相も英雄にはなれないとしても、日本のマスタープランを作り統治機構を整えられる力があるのかもしれない。防衛や経済など様々な課題に対し自ら備えを用意し、アメリカとの同盟関係を踏み台に、より自立した国としての新たな次元を目指そうとしているように見える。 いずれにせよ、アメリカを後ろ盾にマスタープランを完成させるのが急務だと私は考える。

ラマダン カリーム! “断食”こそ恵みへの感謝

心待ちする寛大な断食月 「ラマダン、カリーム!(恵み多い月ラマダン、おめでとう)」……夏の時期、街中でこのあいさつが賑やかに取り交わされる。それもそのはず、みんなが待ちに待った寛大な断食月「ラマダン」がやってきたのだ。 イスラム世界の全地域は、イスラム暦9月(西暦7月)に、一大行事の「ラマダン」(断食月)を迎える。これを受けてまもなくイスラム世界、とりわけアラブ世界はどこもラマダン一色となる。ラマダンによる断食(サウム)は1カ月も続くことになる。もちろん断食といっても、24時間、30日も断食し続けるわけではない。断食は毎日、夜明け前から日没までの間だけである。 イスラムのカレンダーは「朔望月(さくぼうげつ)」(※1)に合わせているので、1年ごとに太陽暦とは12日ほどずれが生じる。そのため、ここ数年のラマダンは夏の時期と重なってしまっている。この時期、気温が40度を超える地域も少なくないアラブ地域で、1日16時間以上も食べず、飲まずに過ごす。ヨーロッパ(夏の場合)など、19時間以上も断食する地域もある。その過酷さが想像できるだろうか。 空腹のあとにしみわたる食事や水の“おいしさ” 「お腹すいたなあ。どうしようか」。時刻はすでに午後4時を回っている。 「昨日、夜中に起き損なったのは大失敗だった。スホール(断食開始の前の食事のことで日の出前に断食に備えてフルーツジュースや暖かい紅茶、ヨーグルト、パンなど食べる)を食べられなかったからだ。でも、ガマン、ガマンだ。もう少しで食事の時間が始まる」 断食の1日が終わる時間にさしかかったころには、「お腹すいた、お腹すいた。ほんとにお腹すいたな~」とばかり考えてしまう。お腹が不平不満を訴えているような幻聴まで聞こえてくるような気がする。実際、最後に何かを口にしたのはもう11時間も前なのだ。 しかし16時間以上空腹な状態で、断食が明けて初めて口にする飲み物、食べ物の味や香り、それはもう格別である。特に水は格別においしく感じる。水の一滴一滴が身体にしみわたってくるような感覚だ。もちろん、この水の豊かな感覚は断食明けが一番である。 1日中、腸の中に食べ物が入っているという現代人の生活習慣は、身体にとってかなりの負担となる。断食をすると、腸が消化吸収の働きから解放されて、浄化される効果も抜群である。断食の経験のない方でも健康上に理由がなければ断食を一度くらい経験してみるとおもしろいような気がする。本当にお腹がすいたときに食べる食事、本当にのどが渇いたときに飲む水のおいしさ。これは普段いつでも好きなときに食べられる日常を過ごしているとなかなか体験できないことだ。 断食で断つのは“悪行”や“悪態” 普通、「断食」と聞くと何を連想するだろうか。「明け方から日没まで、食べず、飲まずに過ごすなんて大変で嫌だ。どうしてそんなことしなければならないのか」と、まず疑問に思うだろう。 あるアラブの知識人の話によれば、「断食という行為は、世界のさまざまな宗教に見られるが、イスラム教の場合は、物理的に飲食を絶つだけでなく、悪態や、社会や他人に害を与える行為を絶つ。これこそが、イスラム教が考える断食の本当の意味なのである」という。イスラム教徒がみな、このような精神を忠実に実行しているかどうかは別にして、イスラムの普遍的な哲学がそこにある。 多くの人は、食事を毎日3食規則正しく食べるべきものだと考えているから、「断食」と聞くと何だか“苦行”のようなものを連想するのではないだろうか。まあ、そう思うのも無理はない。 しかし、実際の「断食」はお祭りである。「ラマダン(断食月)」の時期に特別な思いをはせるイスラム教徒にとっては、ラマダンといえば、心待ちにしている楽しい行事である。仲間が集まり、おいしい料理をたくさん食べる。夜はライトアップされ、嬉しい、楽しいことが目白押しの日々が始まるのである。 日没後の食事はお祭り、家族の団らん 断食が明ける時間である日没の30分前は、家も外の町も慌ただしい。日が沈むにつれてみなそわそわとして落ち着かない気持ちになる。 子どものころ、私にとってその日没前の慌ただしい時間はいつも心躍る特別なひと時だった。食事の支度に母親がキッチンで張り切っている姿、フルーツたっぷりの創作ジュース、香ばしい香りのする焼きたてパンの買出し、お祭り用の特別な焼き菓子、ケーキ、家路を急ぐ人たちの姿など、家族みんな街中の人が忙しい。まもなく断食の時間が明け、家族の団らんが始まる。 ラマダンの断食月は毎日の日没前に大人も子どももみなでわくわくして過ごすのだ。 イスラム教徒であるアラブ人にとって、おいしい食事を囲んで家族が集う楽しい時間を心待ちに1日を過ごすことが断食への原動力になっているのかもしれない。 ラマダンの時期になると、街中のにおいまでが変わる。夕暮れ時は街中が大きなキッチンのようになり、どこからもおいしそうな料理の香りがしている。年に一度の大切な時期である。家族のみなが張り切って準備している。 「今日は、母親はどんなおいしい料理を作るのだろう」と、期待に胸を膨らませながら、「それにしてもお腹がすいたなあ」と思う。ラマダンでは、毎日、特別メニューで違うのが当たり前。父親も知恵を絞って、家族を喜ばせる一品を捜し求める。「今日はスイカにしよう。すいません、これを2つください」と、父親は張り切ってスイカ2つを買ってくる。 若者はラマダン・イベントで連帯感を高める 若者もラマダンを思う存分楽しんでいる。ラマダンがやってくると、あちこちでラマダンに合わせたさまざまなイベントが一斉に始まる。町はライトアップされみんなが浮足立っている。 ラマダンにちなんだセールやサッカー大会、ディナー、遊園地のイベントもあるし、テレビ、映画でもさまざまな特集が組まれる。そしてとにかく、食べる、食べる、食べまくる。そして食べたあとは、遊ぶ、遊ぶ、遊びまくる。町全体がイルミネーションや彩り鮮やかなライトで飾られるのも、ラマダンのときだけの楽しみのひとつ。 もちろん食べることや遊ぶこともよいけれど、礼拝も大切で、ラマダンはイスラム教徒の連帯感の強さを実感させられる時期でもある。普段の5回の礼拝とは別に、善徳の高い礼拝が合同で毎日夜の時間に行われる。 そして「神様への願いごと」といえば、イスラム暦の9月、ラマダンがもっとも「願いごとができる」季節である。 明日への希望をつなぐ「願いごと」の季節 ラマダンの最後の10日間のうち、ある特定の日にアッラーに願いを込めてお祈りすれば、「すべての願いごとがかなえられる」「これまでのすべての罪を許してくれる」などという聖なる一夜がある。その一夜を「ライラ・アルカドル」という。 ただ、そこには大きなハードルがひとつあって、具体的には、「ライラ・アルカドル」が、ラマダンの何日に当たるかなどは明確にされていない。人々は、神から与えられるこの「恩赦」のチャンスを心待ちにして、アッラーへの礼拝に励みながら、ラマダンのこの「ラスト10days」を過ごすのである。 「今年、大学入試に合格できますように」、「母親の病気が早く治りますように」、「就職や留学ができますように」などなど、人々の願いごとがラマダンの神聖な時間を駆け巡り、明日への希望をつないでいく。これもまた、イスラム教徒が抱くラマダンへの特別な思いの源だといえるだろう。 アラブ人(イスラム教徒)はこうして、ラマダンを全身全霊で楽しむ。断食の1日をやり遂げた自分へのご褒美(ほうび)として、夕方から翌日の明け方まで、思う存分に食べて、遊んで、そしてアッラーが与えてくれた恵みと祝福に感謝することを忘れず礼拝にも勤(いそ)しむ。これがラマダンなのである。 タイトル写真=カイロ郊外でラマダン用の飾りを売る露天商(写真提供=時事) (※1) ^ 朔望月とは太陽に対して月が天球を1周する時間で29.530589日。太陽と月の黄経の差が0度のときを「朔」、黄経の差が180度のときを「望」と呼ぶ。

「テロ」の背後にある欧米とイスラム社会、双方の“偽善”

言論の自由とは何か? 再び「9.11事件」の悪夢が蘇ってきた。しかし、今回は米国でではなく、世界の花の都“パリ”だった。1か月前にフランスで起きた週刊紙「シャルリー・エブド」の襲撃事件の痛ましいニュースを耳にした瞬間、2001年の米同時多発テロ9.11事件が脳裏をよぎった。「我々の味方か、それともテロリストの味方か」―当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領のバカバカしい発言を思い出す。仏大手新聞社「ル・モンド」は、アメリカ国民に対するフランスの連帯感を示そうと、「私たちは皆アメリカ人」というキャンペーンを繰り広げた。 はじめに断っておくが、いかなる理由によるものであれ、フランスの襲撃事件は断じて許されるものではない。政治的な目的を暴力によって達成しようとする最悪で卑劣な行為である。 しかし、本当にあの事件は、世界や西欧のいう「言論の自由」を犯すものだったのか。だとすれば、他文化や他民族が大切にする思想や信条などを傷つける、この「言論の自由」について我々は考えるべきだと思う。 「イスラム=テロ」というレベルの低い構図 侮辱・冒涜・差別・憎悪・・・「表現の自由」などという美しい言葉で飾られるものではないと思う。世界の20%を超える人がイスラム教徒であるとされている。普遍的に尊敬されている思想を軽く扱われたら傷つく人がいるのは想像するに難くないだろう。表現の自由の問題ではなく、背景にはヨーロッパに蔓延している人種差別や白人優位の超越感という古くいびつな考え方があるのではないかと感じている。 今回の仏新聞社襲撃事件をめぐる議論では、西洋とアラブ・イスラム世界との長い対立構造とその歴史が語られることが多い。こうした短絡的な結論に飛びついてしまう人がいる。私の胸の内を明かすと、「イスラム=テロ」というレベルの低い議論にはうんざりといった心境だ。 西洋対東洋、イスラム対キリストまたはユダヤといった都合の良い解釈や短絡的な結論ではなく、足元にある実際の生活の背景、具体的な利害関係に向き合わなければならないのではないか。「イスラム=テロ」という短絡的な考えに陥るのは、底流にあるラジカル(極端で過激的信条)な思想が最大の原因だといえる。 ヨーロッパにおけるラジカルな思想の台頭 今回の事件は極めてヨーロッパのローカルな次元の問題として見るべきだと思う。近年、フランスのイスラム教徒の人口は急速に、しかも圧倒的に増え、現在、その数はヨーロッパ最多の約500万人と推定されている。それに対する不安が反イスラム感情や移民排斥傾向をもつ極右政党国民戦線への支持を増やしている。そこにEU統合の深化がもたらす社会解体の圧力もあり、フランス的価値を掲げる反EUの国民戦線にはますます支持が集まる。実際に国民戦線は欧州議会選挙で、仏国内最多の票を獲得して、3議席から一気に24議席にまで伸ばし、ついに仏国内における第1党になった。 こうして見ると、平和と民主主義を理念に掲げ、統合を進めてきたEU、とりわけフランスの排他的でラジカルな思想の傾向の拡大とその悪影響をうかがい知ることができる。そして、これはフランスに限った話ではない。スウェーデンやデンマークなどのほかのヨーロッパ諸国にも広がっている。人権尊重を国や文明の理念に掲げてきたフランスだけに、『反移民』を掲げる政党が欧州議会選挙で第1党になったことは、いかにヨーロッパにラジカル思想的傾向が拡大しているかを示している。 ある意味で、これは「一級」、「二級」といったように国民を差別化し、分断する民主主義の不全と副作用だと言っていいだろう。フランスをはじめ、ヨーロッパ諸国の多くに蔓延する反イスラム感情や移民系国民への差別化を産み出した問題でもある。 イラク攻撃が生んだ「イスラム国」 テロはどうして起きるのか。テロの最大の動機は「社会に対する不満」だとされている。自分が生まれた環境や社会、帰属する文化や考え方などに対する“憤慨”の結果だと分析されることが多い。そして、今の世界の状況を見ると不満の元は一つだといえよう。 そのためにも地政学的視点からも、この事件を考えていく必要がある。アラブ地域で起きている戦闘や空爆、政治動乱や混沌状況と、今回の事件や他のヨーロッパで起きているテロ、暴力行為は全く関係のない別々のものではない。問題の根は深く連なっている。 しかし、私たちからすると、過激派組織を作らせる動機と大義を与えたのは誰だろう? 決して欧米メディアが伝えているようにアラブやイスラムの過激派思想によるものではない。「イラク攻撃」がなければ、「イスラム国」はなかったのだ。アルカーイダもそうだ。ソ連のアフガニスタン侵攻や攻撃がなかったら、きっとアルカーイダも出現しなかったに違いない。というのも出現する意味そのものがなかったからだと思う。 風刺画に利益があるのか 預言者ムハンマドはイスラム教徒にとってどういう存在か、なぜそこまでイスラム教徒が風刺画に対して怒りを覚えるのか疑問に思う人がいる。預言者ムハンマドはイスラム教徒にとって大切な存在なのである。 大切にしたい存在を新聞に掲載されて侮辱されたら、どう思うだろうか。執拗に繰り返されたらどう思うのだろうか。不快に思いながらも無視する人がいれば、過激に怒る人もいるだろう。怒る人がいることを知りながらなぜ刺激するような内容の風刺画を掲載するのだろう。納得できるような理由を教えてもらいたい。あの風刺画を掲載することで誰に、どのような利益があるのか。 今年は、日本に来てから20年目になる。この20年を振り返ってみると、世界や日本においてイスラムに対する理解はまったく進んでいないとは言えないが、クローズアップされるニュースが偏っているために理解がゆがんでいる面も否定できない。そして、イスラム世界にもまたヨーロッパなどの欧米社会にもラジカルで排他的な思想が勢いを増しているように見受けられる。そのラジカルな思想の根源は、ダブルスタンダードによる偽善行為が溢れている私たちの日常生活にある。 パリの抵抗デモにみる偽善 その一例が、シャルリー・エブド襲撃事件に対して世界の指導者達の団結と連帯を示すために行われたパリでの抗議デモである。正確な表現を使えば、これは限りなく「ショー」に近いものだった。世界の指導者40人が一堂に集まること自体は歴史的舞台となったと思う。 だが、「言論の自由」のために集まった大統領や指導者たちのほとんどは、言論の自由を犯した経験のある人たちばかりだったのではないか。皮肉なことに、ジャーナリストの不当逮捕や言論統制の法律など普段から何のためらいもなく「言論の自由」を踏みにじっている指導者たちはシャルリー・エブドのために泣いた! シャルリー・エブド事件とその被害者のために泣いた世界。その同じ世界が、空爆が三ヶ月も続いたパレスチナのガザや、独裁政権が4年も弾圧や殺害を続けるシリアとその国民、イラク、ミャンマー(イスラム教徒弾圧)、イエメン、などなどの混沌した状態を見て見ぬ振りをして、そして、誰も泣かなかった。今の国際社会は偽善で溢れている。ヨーロッパの言う人権、平等、自由なども偽善にすぎない。 イスラムの理念を見失うな 一方、イスラム社会も同じように偽善で溢れている。アラブ諸国政府や国民の多くは言うこととやることがまったく矛盾するものばかりだ。イスラムは平和な宗教のはずである。しかし、イスラム教徒である私たちの生活はまったく平和とは無縁な状況にある。 相手の考えを尊重し、共存共栄することや、異教徒を受け入れること、また相手に嫌なことをされても寛大な心をもってそれを赦すことこそ、イスラムの最も大切にしている理念であるにもかかわらず、我々の社会は攻撃や暴力に訴える人で溢れている。 何を信じて良いのか、もはやすべてが偽善にしか見えないのが今の実情である。結局、欧米も、またイスラムの現代社会も、共存の壁にぶつかるたびに、都合の良い解釈を重ね、ダブルスタンダードによる差別や排他行為を繰り返しているだけだ。 カバー写真=(右)仏紙襲撃テロ事件に対する大規模追悼デモ=パリのレピュブリック広場にて、2015年1月11日。(AP/Aflo) (左)仏紙ムハンマド風刺画掲載に抗議のデモ=パキスタンのラホールにて、2015年1月25日。(REUTERS/Aflo)

ステレオタイプ化するイスラム嫌悪への懸念

事件のたびに弁解を求められる在日イスラム教徒 今回のようなテロ事件が起きるたびに、なぜ、私たちイスラム教徒は狂信者扱いされ、自分たちの信念とは無関係な事件について弁解を求められるのか。結局、一様に「イスラム教は平和な宗教です。あれらの過激派とその暴力とは全く関係ないものなので」などと、決まり文句を並べなければならない。こんな風に感じているのは、きっと私ひとりではない。 「フランスの週刊紙襲撃事件や日本人人質殺害事件などを受けて日本で暮らしているイスラム教徒への悪影響があると思うか?」 一連の事件による日本社会のイスラム教徒コミュニティーへの影響とその今後について、イスラム教徒の知り合いに質問してみた。 「名前を聞かれたけれど、一瞬言うのをためらった。ムハンマドという名前からイスラム教徒であることがばれるからだ」(30歳・学生)。 「よく会う近所のおじさんだけど、いつものように『こんばんは』と挨拶すると、帰ってきた言葉は、『怖いね、イスラム国!日本に入ってこなければ良いけど』だった」(42歳・会社員男性) “平和な宗教”ではないという短絡的なイメージ しかし、私のようにもっと複雑な見方する人もいる。 「怖いのは、ステレオタイプ化による恐ろしい影響だ。人間は日々生活している中で、ステレオタイプな考え方で物事をよく見ている。それは、一個人に対してであったり、国家単位であったりする。今回の一連の事件によって、日本人がイスラム教徒やアラブ人をどのようにイメージするかということに大きく影響すると思う」 見方は様々だ。だが、今の状況で明らかなのは、日本でイスラム教に対する反感やフォビアが進むのではないか、そういう不安を少なからず覚えている。そして、イスラム教は日本人にとって“平和な宗教”ではないと短絡的に捉えられているように感じられる。 紹介すべきイスラム教の視点 メディアや報道機関もこの「過激思想」や「反イスラム感情の拡大」に一役を買っているところがある。テレビや新聞、そしてラジオでも、イスラム教が、イスラム過激思想、イスラム原理主義、聖戦などと、まるでテロ組織の宣伝をしているように報じている。一方、イスラム教の考えの神髄が込められている「コーラン」の考えはほとんど紹介されることがない。 コーランには次のように明記されている。 コーランのこの部分の意味は、「一人を殺せば、すべての人々、つまり全人類を殺したのと同じようなこととみなされる」、これがイスラムの考え方だ。 人を殺すという行為は、どんなイデオロギーの下でも、また、たった一人であっても、それを正当化することは許されない。殺人には、大も、小もないのだ。しかし、こうしたイスラムやコーランの視点について、メディアはほとんど紹介しない。 本屋に並ぶイスラム関係本の異様さ ここで、改めて「ステレオタイプ」の定義を確認してみたい。ある国籍や人種、または性別など、あるカテゴリーに含まれる人が共通して持っていると信じられている特徴のことを「ステレオタイプ」という。 人間は日常生活の中に溢れている膨大な情報を敏速にかつ正確に処理することができない。そこで、人間は情報をカテゴリーに分けて整理する。そして、各カテゴリーへの割当は類似性と差異性に基づいて行われる。つまり、普段、私たちはステレオタイプ化をすることで情報処理を行うという認知的な仕組みになっている。しかも、無意識に行われている。 ステレオタイプに繋がる情報は、決してテレビなどの報道機関のものだけではない。先日、仕事帰りに、何軒かの本屋を回ったが、「イスラム国」関係本の売れ行きが良いため特別コーナーの設置が目立った。 しかし、そこを通りかかる人は視覚的に、二つの情報をほぼ瞬時的に認知処理することになる。一つは、表紙の恐ろしい覆面姿の人がイスラム教徒であること。もう一つは、イスラム=「怖い」、「衝撃」、「過激」ということだ。ただでさえマイナスイメージであるイスラム教のフォルダ(脳の中のフォルダ)が更にアップデートされている。 国民が、テレビ・新聞・雑誌などの報道をどのくらい信頼するか(だまされるか)、を国際比較したデータがある。日本リサーチセンターや米調査会社ギャラップなど、内外の4機関の調査結果によると、日本人は先進諸国で飛び抜けてテレビ・新聞・雑誌などマスコミ報道を鵜呑みにし、信じやすいようである。最も低い英国は14%、その他の主要先進国(ロシアを含め)も20~35%だという。 「決めつけて見るのではなく、よく知ってから判断する」 あまり知られていないことなのかもしれないが、「ステレオタイプ」という用語は、比較的新しい用語で、アメリカ人ジャーナリスト、ウォルター・リップマンによって命名されたものだ。 「我々は、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きく、盛んで騒がしい混沌状態の中から、既に我々が文化や、我々の為に定義してくれているものを拾い上げる。そして、こうして拾い上げたものを、我々の文化によってステレオタイプされたかたちのままで知覚しがちである」(ウォルター・リップマン『世論』) 日本人の人質殺害事件や自称「イスラム国」(IS)の非道な行為によってもたらされたイスラムへの怖いイメージは現在も進行中である。欧州のようなイスラモフォビアではないものの、日本社会にイスラムは怖いという雰囲気が浸透していることも事実である。 大事なことは、「定義または決めつけてから見る、判断する」のではなく、「見て、感じて、調べて、接してから定義し判断する」ことだ。私たちは、そういう人間でありたいと思う。 カバー写真=代々木上原の東京ジャーミィ、新宿副都心の高層ビル街を背に(写真提供=東京ジャーミィ)

日本と世界の時間感覚のずれ:始業厳守も終業はルーズ

世界が驚いたニュース 午後の会議が 5時10分にスタートすることになっていた。出席予定の担当者はいつも通り10分か5分ほど前に着こうとバタバタ急ぐ様子。自分も急ぎ足で向かうのだが、途中で知り合いの一人に“遭遇”して挨拶を交わしたため、1分遅れてしまう。 時間とは不思議なものだ。無限でありながら、有限である。友達との約束や、部活、アルバイト、デートなどの用事とその決められた時間に「間に合わなきゃ!」と日々、時間との戦いを迫られている現代社会。世界中のどの文化においても、目まぐるしい活動を維持するには時間を守ることが大前提(常識)となっている。 そもそも、時間と人間の関係は不思議で分からないものだ。時間は、私たち自身を含む「もの」が動くからこそ認識ができるのであり、言ってしまえば時間という何かが元から存在するわけではないらしい(時間とはなんだろう、松浦壮 2017)。特に日本で人の動き回る速さと流れる時間のスピードは、はやりの言葉を使えば、「半端ないものだ!」。 最も時間に厳格な国民性として世界的に定評のある日本人の時間規律とその異様な感覚を話題にしたニュースが最近、世界各国のメディアに注目されている。中でも関心を呼んだのが「仕事中に3分抜けてお弁当を注文していた」とのニュースだ。神戸市の職員が弁当を注文するため、昼休憩前に3分程度の中抜けをしていたことが発覚し、減給処分を受けたというニュースを英ガーディアン紙や米ABCニュースなど欧米の大手メディアが驚愕(きょうがく)をもって報道した。もしこれが他の国で起きても、フェークニュースと思われるだけだ。しかし、日本においては、本当の話である。 昔は悠長だった日本人 しかし、意外なことに今でこそ日本人のアイデンティティーとなっている時間規律の感覚はどうやら昔は違っていたようだ。 「修理のために満潮時に届くよう注文したのに一向に届かない材木」「工場に一度顔を出したきり二度と戻ってこない職人」「正月の挨拶回りだけで2日費やす馬丁」――。「この分では自分の望みの半分も成し遂げないで、此処を去ることになりかねない」(橋本毅彦・栗山茂久編著『遅刻の誕生』三元社、序文)。 「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」。これは、幕末、長崎海軍伝習所教官として派遣されたオランダ海軍のヴィレム・カッテンディーケが書き残した記録『日本滞在記録抄』の一部で、「時間を正確に守る」という日本人の定評を覆してくれる。ふらっと出かけたまま戻ってこない職人、期日通り届かない資材・・・。幕末から明治にかけて日本にやってきたいわゆる「お助け外国人」が日本人の労働者が時間にルーズなことを嘆いているのは、現代人には意外だろう。何だか、現代のアラブや南米の人々の気質の一つとされる悠長さそのものだ。 そもそも、悠長とは「本来、急がなければいけない状況にあっても、のんびりとしてちっとも急ぐことがない様子」という意味だという。お助け外国人にとって、江戸時代の悠長な人々は「早く行動してほしい!」とストレスを感じる存在だったようだ。しかし、一体いつどのようなきっかけで、日本人は時間を厳しく守るようになったのか。 明確な答えは見出せないのだが、現代の日本人の時間への厳しさは、明治から猛スピードで進めてきた現代的工業社会への過剰な適応からきたのではないか、と分析されることが多い。その結果、現代日本ではバスも電車もほとんど決まった時間に来てくれ、私たちの生活のスケジュール管理が素晴らしく保たれている。 日本人はMタイプ、アラブ人はPタイプ しかし、世界を見渡してみると、時間に厳しい文化もあれば、逆に時間に緩い文化もある。その違いはどこから来るのだろうか。例えば、あなたがアラブ地域や南米の出身者と会う約束をすると、彼らは時間に遅れてくることがままある。なぜか? 文化人類学者のエドワード・ハールは、人間社会の文化とその視点によって時間の捉え方が異なると指摘する。時間に対する行動パターンには、Mタイムと呼ばれる「monochromic time」(単一的時間)と、Pタイムと呼ばれる「polychromic time」(多元的時間)の2種類があるとされる。そして、Mタイム型の人は時間に正確なタイプで一度に1つのことしかしない性格を持っているのに対し、Pタイム型の人は時間にルーズなタイプで、複数のことを同時に処理しようとし、人間関係を重視する性格を持っている。 つまり、日本人や欧米人のような文化圏の「Mタイム型」は、時間軸が1つと考える一方、アラブや南米のような文化圏の「Pタイム型」は、時間軸が複数あると考える。そして、「Mタイム型」と「Pタイム型」が接する場面で、文化的摩擦が起きてしまう結果となる。こうして時間感覚を巡る議論では「日本人は時間に正確、南米人やアラブ人などは時間にルーズ」と短絡的な結論に飛びついてしまう人がいる。 日本人に見る時間規律の矛盾 確かに日本人の時間に対する正確性は世界的にも定評があるが、23年に及ぶ日本暮らしにおける自身の経験では、日本人の時間規律の感覚に一つだけ矛盾に感じることがある。それは、「始まる」と「終わる」時間を守る姿勢のギャップである。 M型タイムの文化 一度に一つのことしかしない 型どおりの行動パターン、計画性を重視 タイム イズ マネー 例)ドイツ、アメリカ、日本など P型タイムの文化 複数のことを同時に処理しようとする スケジュールに縛られず、臨機応変に対応 ビジネスは社交の延長 例)南米、アラブ、フランスなど 会社や学校に1分でも間に合わなかったら「遅刻」になる。事情は別にして、当然である。もちろん、こういうときに怒られても仕方がない。これは理解できる。 しかし、会議の終わり時間や勤務の定時を守らない、または意識すらしない行動パターンと精神はどうしても理解に苦しむ。時間の正確さを得意とするにもかかわらず、終わりの時間にはルーズだと言える。そこには、物事の始めと終わりでは、その時間的な感覚に大きな矛盾とズレがあるのではないかと思えてくる。なぜこのような矛盾が起きるのだろうか。 日本人に限った話ではないが、人は常に本来の自分を集団(他者)に見せているわけではなく、集団(他者)に対して自分の望ましい印象を与えようとして意図的に振る舞う。これを社会心理学で自己呈示と呼ぶ。日本人は、この傾向が強いのではないかと思う。 こう見られたいという意図の下、与える印象を操作する。いわば印象操作の一種である。つまり始まりの時間では、集団から悪い印象や評価を持たれないよう、決められたスタートの時間を正確に守ろうとするが、終わりの時間では、時間の正確さより集団メンバーとの信頼関係を優先しているのである。つまり、始まりの時間においても、終わりの時間においても、日本人が一番気に掛けて大切にしようとするのは、周囲や集団からの信用を得ることである。このように日本に根付いている集団と個人との特殊な関係を考えると、どうも日本人は物事の始めはM発想、物事の終わりはP発想ということになる。 どうしてこうなるかというと、日本人は、アラブ人や欧米人と同様に人間関係を重視する一方、信頼も重要であると発想するからである。 働き方「感覚」の改革を 時間は人間の感覚から独立して実在するのか、それとも実在しないのか。物理学的な視点からではなく、文化人類学的発想で考えると、時間は人間の感覚から独立しているというより、一体化し融合しているものだと言える。故に人間の置かれている風土や環境によってゆっくり流れるように感じる文化もあれば、急速に流れているようにも感じる文化もある。…